気まぐれタンヒット

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ドラマわたしを離さないで9話感想【ネタバレ】

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(イラストは深谷よりid:fukayan0628)
 
 前半の失速ぶりはまさかここまできてと思ってしまうほど設定の中でジャンガジャンガして、なんの抑揚もなく進んでいくだけでした。尋ねたら引っ越ししているとか、なぜそこでワンクッション挟むんだーーって。これは美和こと水川あさみが居なくなったからこんなに面白みがなくなったのかと思わざるを得ない。おなら属性がなぜか復活する友こと三浦春馬の締まりのない笑顔と合わせて、それを愛する恭子なる綾瀬はるか等を見て一瞬だけ、駄目なんだけど、こいつらもうどうでもいいわと思った。放り投げてしまいそうになる。愛しさがどこかへ行ってしまった。権化の馬場園さんもいない。
 
 盛り上がらせ方としてやっぱ不条理というか提供者がどんだけ不憫であるのかを効果的に見せようと感じられる。しかしそのモードに入っていくこちら側を前述したような屁をこいでから時間も経ってない中で繰り広げられるとどうにも歯車がズレて動いているようで気持ちが乗らない。あと綾瀬はるかがえみ子先生宅へ持って行った段ボール、上から見て中身がどれだけ入っているか確認できるシーンがありましたが、3分の1も入っていない。入れる容量に対して入っている紙が少ないのにあんな大きい段ボールを用意しちゃっている。それですごい軽そうなんです。なんかこういう些細な佇まいというか部品というのが話の筋とは直接は関係していないにしても立ち振る舞いの一部としてとても気になってしまう。しっかりしているという個性付けが荒いなと感じたんです。聡明ですねとその人が相手から言われたらその人が聡明だと視聴者にも感じさせておくれ。おならをこぐってのも今回だけ復活したのでなくてちょいちょいこぎやがるからそんなものなのかなと思っていたけれど、今回は邪魔になった。楽観的な幼児性をおならで演出するのもどうなんだ、すごい今更ですが。
 原作でもトモの性格と彼らが置かれた環境のどうにもならなさを表す象徴的なシーンである、地団駄を踏むシーンは胸にくるものがあった。でも、ここでも文句を言ってしまう。気になるところがすぐに見つかる。三浦春馬が拳でガードレールを殴っているのにも関わらず、綾瀬はるかはサッカーが出来なくなるよ!! と言ってしまう。これは普段の綾瀬はるかがドラマの中に入り込んできたように思えた。少しズレている発言をあそこでしてはもう演出に入りこめない。いやこれは私が気にしすぎなのかもしれないんだけど。でも、せめて三浦春馬さんよ、自分の大切な足を痛めつけた方が演出上よろしかったのではと思わざるを得ない。子供の頃はどうにもならなくて何かに当たり散らした経験が1度はあると思う。自分の大切にしているものをめちゃくちゃにして自分を棄損しようとする。陽光学園にいた頃は自ら泥を跳ねさせて服を汚していた。大人になっていろいろあった今、拳でガードレールを叩くだけでは単なる憂さ晴らしに映りかねない。文句ばっかです今回。
 マダムとえみ子先生の安定感は良かった。でもそれで拭えないほど上に書いたように大量出血している。お年を召したお二人が場を用意し、雰囲気も語る内容に相応しい。えみ子先生がなぜ陽光を作ったのか話す場面は今回の中で一番興味深いシーンだった。提供者に希望を抱かせようとすればするほど世の中の立ち位置との落差で危うくなる。それは序盤の伊藤歩演じる新人教師が行っていたことと重なる。立場は違えど同じことをやっていた。善意と言っていいものか、提供者の地位の向上のために一部の大人が作った場所から生まれた人達がさらに何かを求めて幻滅する話といえばそうなのだけれど、あの場所っていうのは現実世界の我々にもどこかしら親しみのある普遍の場所として思える。大切にしている思い出ってあるよねと語りかけてくる。それが例え将来が決まっていて短い生涯だと知らされていても。
 次は最終話。予告ではみんな大集合みたいです。さてどうなるでしょうか。
 
 
今回はここまで。