気まぐれタンヒット

したしとが書いている雑記ブログです。

心配されるとムカつく

心が荒んできたとしておきたい。わたしの普段がどのくらいなのか説明は出来ないが普段はそんなことを気にしないはずだ。心が荒んできたんやと、そう思いたい。

 

家から出かける際に、気を付けて行きや、と言われる。それでムカついてしまう。

そんなことで? そんなことだ。普段から気を付けておるわと思ってしまう。

ごめんなさい。心配やもんな。外で何が起こるか分からへんもん。こうやって文章にすると優しさに泣けてくるが、言われたらそんなことない! って思ってしまうねんな。充分気を付けてるわって思っててもな〜心配やもんな。自分に子供が出来たら同じように声をかけると思う。でもムカついてしまう。あ〜〜
 

振り返ると優しさが分かる心配もあるけど、失敗を無くそうと思って何かと気にかけるのが行き過ぎると本人の意欲を削ぐ削ぐ。
 
「洗濯機すすぎ10分かけてくれるか。よろしく。あ、洗濯機の排水ツマミを回すと排水されるから排水してから、排水ツマミを閉めて水を入れて水量はツマミを半分くらいでタイマーをセットして、あ、タイマー、言った時間以上回すと漬けおきになるから注意してな(何分以上は漬けおきと洗濯機に書いてある)、で脱水機で回して……」
 
心配だろう。失敗してはいけないから。わたしは話の途中から水爆について考え始めた。ムカつくとムカつくを通り越した放心状態が交錯する。ここまでくるといろいろなものを信じていないとも受け取れる。洗濯機をデザインした人間も、わたしを育ててくれた両親や学校の先生、遊びに付き合ってくれた友達。日本語。それらを経て洗濯機の前に立ったわたしはそんなボンタンアメ本体が見えないぐらいオブラートに包まれた注意を受け…る…ような……人…間では…な心配やもんな。しゃあない。言うに越したことわたしから見てあるんやけど越したことないやろう。相手から見て信用出来ないのだろう。そんなのわかってます!! なんて言おうものなら失敗するまで無意識に待ってしまうやんな。ほら、あの時言ったやん。ちゃんと言うこと聞いとけば失敗せんかったんやで。なんて諭されたらな、はいっ言うしかないやん。コンボみたいになるやん。キマッた感じになるもん。洗濯機が操作間違って爆破されたとして、それは失敗なんやろうか。発見だ。いや、これは置いといて洗濯機の操作に間違えるような幅が、取り返しのつかない使い方があるんですかとか自問自答して就業時間収集つかんかった。わたしが出来るのは信用ある人間になれるように生きることだ。
 
あけましておめでとうございます。2016年こそ、よろしくお願いします