気まぐれタンヒット

したしとが書いている雑記ブログです。

疑問は不快な気持ちと共にあるなんて

Twitterで議論している方をたびたび見かける。こじれて罵り合いになった会話はまとめられ拡散される。だいたいが展開がないゆえに晒されているような会話だ。

わたしは人前で喋るときですら伝えたいことがうまく通じない時があって、身振り手振りで誤解のラインを低く維持しようとする。誤解がさらに重なってどうしようもないときもあるけれど、最後は引きつった笑顔でごまかしたりしてどうにかなったりする。字面のみのコミュニケーションが難しいことはもう周知の事実になりつつあるとわたしは思う。どうしてもリプライを送りたくなっちゃうときがあって、打ち込んでみて20〜30分考えて、違う解釈をされないか確認してしまうから脂ノリが良くない。しかも送信してから気づくこともあって冷や汗を書くことも多いとくるから、おちゃらけたリプライでもかなり悩む。わたしは同じ人と何回も返し合うのに少し躊躇いがあるので、フォロワーさんたちのリプ飛ばし合いを見ていることが多い。

もうひとつ気にするのが、疑問形で話しかけること。これはTwitter上だけじゃなく人前でも感じる。意図を聞きたいときにどうしても相手を信じていないかのように思われることがある。疑問は疑いの問いなので相手との信頼関係がないと誤解される。信頼関係を築いても阿吽の呼吸で何かを為せるのを(中には居るかもしれないけれど一部だろう)要求するのは無理がある。判断がつかないから聞く。しかし、どうしても不快感と一緒にそちらに伝わるのを防ぎきれない。

仕事を任せる。判断が必要な場面がある程度ないと仕事ではないと思いますから業務に当たってもらう。成果を見せてもらって、意図が表に現れてくるなんてほとんどないので聞かないとしゃあない。で、聞いてみる。それじゃあいけないんですか?と高圧的に返事くるひとがたまにいて、わたしはまだ成果についての是非を言っていないし、適当に流して、いいえ違います、意図を知りたかっただけですとその都度言えばいいんですけれど何回もやっているうちに聞けぬなら察してみせようみたいになってコミュニケーション減ったりする。じゃあ一緒に仕事している必要があるのかと感じてまた聞くんですけれども。自分自身に疑問投げかける分には何度でもするけれど、人に良い疑問を投げかける方法がわからない。あなたの行動や判断を否定しているわけじゃないよ、どういう思考回路か知りたいだけって簡単に伝えられないもんかなあ。