気まぐれタンヒット

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ドラマわたしを離さないで8話感想【ネタバレ】

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(イラストは深谷よりid:fukayan0628

 

提供者の処遇の理不尽さを感じる回でした

水川あさみ演じる美和が手術室へと連れて行かれるシーンはこれまでの彼女の心の揺れ動きを思い、うるっときてしまいました。私の感情が動かされ、彼女の思いが非常に伝わってくる演技。今までの行動のなぜどうしてを語り始めるのは船越英一郎と崖を思い起こさせるような会話です。しかししかし、個人的に思うのは連れて行く時に感情をあらわにしてしまうと、自分の運命と向き合ってなかったってことにもなりはしないかっていうのと綾瀬はるか演じる恭子の介護人としての仕事がうまくいっていなかったとも取れるってことです。こう書くと彼ら彼女らは私たちと比べて自由がない、最後の決められた短い時間でしか生きられないんだから自然であるし、もっと生きたいともがくのだろうが! とも心の中から声がしますが

すなわち可哀想な境遇であるから不憫な人の抗いの儚さであるとの見方をあの場面で心を動かされた自分の中に少し感じてしまったのです。でも果たしてそうだろうか、対象を見る私たちが死ぬ間際に安らかに死ねるか、生を請いながら死んでいくの違いは長い間の一生に飽きてしまったからか、寿命がもっと欲しくてやりたいことを残しているからであろうか。そこの違いについて提供者と我々とははっきり分かれているのだろうかと考えました

提供者はショッキングでしょう。臓器を提供するために生まれて死んでいく。そんな存在は現実では許されない。でも虚構の世界でなら許されない先に見える景色をあるものとして各々の頭の中に作り出せる。そんな想像が成せる可能性を彼らを可哀想な抗えない哀れな人と思ってしまうと何か大切であろうものが視界に入ってこない気がするんです

なんで抗わないの、なんで耐えて生きていくのかが分からない。でも彼らのようになんでそうしているんですか、私みたいにこうすればいいのにと言う台詞を誰しもが聞いたことがあると思います。返事は、事情があるからそうできない、でしょう。それはどちらが合っているとかではなく(逃げている場合もありますが)その道に決めて進んだ先には何かしらがあるのは決まっていることで、それは望んでいることかもしれないし、端から見たら惨めであるかもしれない。何か良からぬことが起こってもその道を進んだ先に見えるものはその道を通ってきた人だけなんだから、その中で受け入れて地を踏んでいる人をある価値観で決めちゃっていいのかと思うんです。「わたしを離さないで」という題も人間と人間が一方にそばに居続けて欲しいと懇願する以上の多層な意味合いが込められていると思います。なんかこう、書けば書くほど遠ざかっていく感じもするのも一方で感じてて、どうにか表せないかと頭をかきました

でも、主人公の3人が訪れたHOMEというかつて暮らしていた昔の施設での子たちを見ると提供者とひとくくりに話を進めていいものかと、またそれも考えてしまうんだす 

 

今回はここまで。